
元気に走る昭和日野バス ピンクいろが可愛いい!
ちょっと前までは、この国そのものが走る日本車博物館だったのです………ところが!
発展おびただしいミャンマー。
いまでさえ、街を走っている車はすべてピカピカの車ばかりですが。
少し前までのミャンマーでは街を走っている車は
すべてが骨董品のような古い日本車
でした。
日本で昭和30年代に生産輸出された自動車が現役で走っているところが見れました。
ミャンマーはさながら動く昭和車博物館
といったかんじでした。
ところが
2012年ミャンマーの自動車規制が大幅に改正されました。
以前より自由に車の売買ができるようになったのです。
この法改正が起こる前は街中はいったいどんな状況だったのか、当時の写真がありますのでご覧ください。
ちなみに、今でもミャンマーの田舎の奥地に行けばこれらの動いている車がまだ見られると思います。
3代目ダットサン ピックアップ
1957年~1961年生産
ダットサンピックアップと言えばこれはもう世界一のベストセラー車(たぶん)こんなに古いダットサンですがダットサンとしては3代目、初代は1935年から生産されているんですね。
海外では「ダッツン」と呼ばれています。
5代目ダットサン1200 60HP
1961~1965年生産
ダットサンは10代目から日産ブランドに名前が変わりましたが社員の間ではいまだに通称ダットラと呼ばれていて最新モデルは最近まで日本でも生産されていました。
マツダ B600
マツダのピックアップトラックは歴史があることは知っていまいたがまさかここまで古いものがあるとは驚きです。
このB600日本では1961~1968年日本で生産されミャンマーに輸出されていたそうですが、1973年からはミャンマーでの現地生産がされてきたようです。
なるほどミャンマーにB600が多かったわけだ!
フロントシートは痩せた人なら二人やっと乗れる広さ。
ピックアップと言うよりも軽トラですか?
マツダ 初代ファミリア
1963年~1968年まで生産
私はこのとき生まれて初めて初代ファミリアと遭遇しました。
前方のナンバープレートを上方にめくり上げるとバンパーにクランク棒を通す穴があり、これによりクランク棒による始動ができるのです。
実際にうえの写真の車のナンバープレートをめくってみたらその穴がばっちりありました。
トヨタ パブリカ(2代目)
1969年~ 1988年迄約20年という長い期間生産されていました。
だからでしょうかこのパブリカは相当量ミャンマーで見られました。
パブリカの名前の由来はパブリック・カー(Public car)からの造語で、国民車に相応しい名ということで付けられたそうです。
香辛料のパプリカとはなんの関係もありません。
トヨタ コロナ
二代目カローラ
推定1970年頃生産
このほか70年代80年代90年代の日本車がよりどりみどり走っているのがみられました。
この頃にミャンマーに来ていた外国人旅行者でこんなことを言っている人がいました。
「ミャンマーは誰もが貧しいから、最新車は買えないのねー」
ちがいますって…
ぜんぜんそうじゃありませんから!
たしかに大部分のミャンマー人は貧しいです、しかし日本人の比じゃないお金持ちもぞろぞろいるんです、宝石商や軍関係者など。
繰り返しになりますが、たった数年前まではミャンマーを走っていたすべての車が上の写真のようなポンコツの日本車でした(味があって私はこっちのほうが好きですが、笑)。
それが法律が変わるや否やたった2,3か月で上のようなポンコツ車はすべて見かけなくなりました。
すべてがピカピカな日本車、ヨーロッパ車に変わってしまいました。
法律の力というのは誠にすごいものですねー。
悪いことしてもうけようと思ったら各関係者の間でいくらでも稼げてしまうわけです。
この法改正を前もって知っていればそこに乗じてもうけることができます。
なんか話が汚れてきましたのでエスカレートする前にこのあたりで今日は締めくくらせていただきます。
ご覧いただきありがとうございました。